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事件があった電話ボックス。

青酸コーラ無差別殺人事件wikipedia:青酸コーラ無差別殺人事件より)

概要

第1の事件(東京)
 1977年(昭和52年)1月3日午後11時半ごろ、東京都港区で東海道新幹線の列車食堂でアルバイトをしていた男子高校生(当時16歳、京都市在住)が、アルバイト先から宿舎へ戻る途中、品川駅近くの品川スポーツランド(現在の品川プリンスホテル:1978年(昭和53年)開業)正面にある公衆電話に置かれていた未開封のコカ・コーラを拾い、宿舎に持ち帰った。翌4日の午前1時すぎに飲んだところ、男子高校生は異様な味を感じ、すぐに吐き出し水道水で口をすすぐが、突然倒れてしまった。男子高校生は意識不明の重体となり、直ちに病院に運ばれ、胃洗浄などの救命処置が行われたが、まもなく死亡した。死因は青酸中毒だった。

第2の事件(東京)
 同月4日の午前8時15分ごろ、前述の男子高校生がコーラを拾った電話ボックスから第一京浜を約600m北に行った歩道上で、作業員(当時46歳)が倒れているのが発見され、こちらも病院に運ばれたが死亡が確認された。死因は第一の事件と同様に青酸中毒であった。また、男性が倒れていた場所の近くには、男性が開栓したとみられるコーラのびんが発見され、残っていたコーラから青酸反応が検出された。

 警察が周辺を捜索したところ、同日午後0時すぎごろ、作業員がコーラを拾った電話ボックスから約600m離れた品川区にある商店の赤電話に、青酸入りのコーラが置かれているのを発見した。それ以前にその商店の息子(当時15歳)が用事で出かける際にこのコーラを発見していたが、用事の後に飲もうと思いそのまま出かけたため、間一髪で難を逃れている。彼がコーラに毒物が入っていたことを知ったのは、用事から帰宅した時に警察官が来訪していたためであった。

 警察は一連の事件を受け、同一犯の可能性が高いとみて、コーラが人気である若者世代や、青酸化合物を入手しやすい塗装業・加工業者をあたったが、物証に乏しく、犯人・犯行を特定できず、事件は謎を多く残したまま1992年(平成4年)1月4日午前0時をもって公訴時効となった。

第3の事件(大阪)
 東京の事件から約1ヶ月後の2月13日午前6時20分ごろ、大阪府藤井寺市に住む会社員の男性(当時39歳)が出勤途中にタバコを買うため立ち寄った酒屋の公衆電話に、中身の入ったコーラのびんが置かれているのを発見し、飲んだところ突然意識不明に陥り病院に運ばれた。男性が飲んだコーラのびんからは青酸反応が検出された。男性は一命を取り留めたが、退院した翌日に自宅でガス自殺した。

 遺書はなかったが、死の直前には家族などに「東京の事件を知っていたのにこのような事態になって世間に顔向けできない」と漏らしていたという。また、「誰もコーラを飲んだ場面を見ていない」「男性の出た症状には青酸中毒特有の症状がなかった」との報道もあった。

第4の事件?(東京)
 翌日の2月14日、東京駅の八重洲地下街で、会社社長の男性(当時43歳)が階段のところにチョコレート40箱入りの紙袋が置かれているのを発見した。男性は、一連の青酸コーラ事件から「このチョコレートにはもしや…」と疑い、警察に届けた。

 当初、警察では遺失物扱いされたが落とし主が出てこないため、製造者に返却した。製造会社がこれを調べたところ、製造番号が破りとられていたことから不審に思い、研究所で調べたところ青酸化合物が検出された。

 製造者が再び警察に届け、無差別殺人事件として捜査したがこの件でも犯人逮捕はできなかった。またこのチョコレート箱には「オコレル ミニクイ ニホンジンニ テンチュウヲ クタス」(驕れる醜い日本人に天誅を下す)などと片仮名のゴム印による脅迫文らしきものが添付されていた。

この事件と第1〜3の事件との関連性は不明である。

第5の事件?(東京)
 同じく2月14日、東京駅の隣駅である神田駅のトイレでチョコレートを拾った男性がいた。彼は電車に乗るとこれを食べたが、意識不明となって秋葉原駅から救急車で病院に搬送された。病院では食中毒と診断される。幸いにも命に関わるようなものではなく、本人は意識が戻り翌日には退院している。

 当時、これは同じ日に神田で発生した青酸チョコレート事件とは関連がないと思われていた。ただの食中毒という診断だったため警察への届けもなかったのである。しかし翌年になって神田の話が捜査員の耳に入り、拾った本人から提供されたチョコレートを分析したところ微量の青酸ナトリウムが含有されていたことが判明した。

第6、第7の事件?(東京)
 2件の青酸チョコレート事件を受けて警察が改めて捜査を行ったところ、2月14日以前にもチョコレートの入ったバッグが東京駅に置かれているのを見たと言う複数の証言があった。これらのチョコレートを置いたのは同一人物で、コーラに青酸を入れた犯人である可能性が高いと言われたが真相は判明していない。なお、このチョコレートについての詳細は不明。

事件の影響

 当時まだ、250mlリターナブルボトルの自動販売機による販売は珍しくなかったが、この事件を契機に急速に数を減らし、有人店のセルフサービスとして数える程度が残った。このような事件を防ぐため、一度開栓したら元の状態に戻すことの出来ないプルトップ付き缶(250mlまたは350mlストレート缶)が、自動販売機の主流になり、ビンでの販売も、缶用の自販機で扱え、尚且つ一度開栓したら、他者からその状態が分かるスクリューキャップボトルへ変更された。

 また、その場で購入したもの以外の飲食物は、決して拾い食いしないように呼びかけたこともあってか、同様の事件は、これ以降なくなっている。


感想

 この事件、よく覚えていますが、結局犯人は捕まらず迷宮入りになったんですね。これ以降も同様の事件がしばらく続きますが、どれも犯人は捕まっていないようです。そして1984年にはこの事件をヒントにしたと思われる「グリコ・森永事件」が発生。それも犯人逮捕にはいたらず、迷宮入りになったのは多くの方がご存知でしょう。それからこの事件の影響は全国的な広がりを見せ、より入手しやすい農薬を使った「パラコート連続毒殺事件」が1985年に起こります。この事件で確認できている事例は全部で12件、犠牲者は12人に登ります。

 このように以降の「市販の飲料水や菓子に毒物を混入し放置する事件」の嚆矢を告げたのがこの「青酸コーラ無差別殺人事件」だったわけですが、パラコート連続毒殺事件以降はパタリと事件はなくなります。理由は容器をビンから缶へ切り替えるなど飲料メーカーの対策が進んだこと。放置してある飲料や食べ物を飲み食いする行為が危険である、という認識が広まったことなどが挙げられます。

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昔のコーラの瓶と自動販売機。

 現在はペットボトルが主流なので、さらに毒物混入は難しくなりましたが、注射器を使うなどやろうと思えばできないことはありません。しかし、放置してある飲料を無警戒に飲むということは、今の時代の人ならまずしないでしょう。飲料に限らず、「放置してある人の荷物を気味悪いと思う」心理はこの一連の事件で日本人の間に刷り込まれたのではないでしょうか。それは「席取りに荷物を置いておいても盗まれない」という日本独特の「文化」を生みました。このことはよく「日本の治安が良い証拠」として採り上げられますが、1977年から1985年にかけて起こった一連の「青酸コーラ無差別殺人事件」「グリコ・森永事件」「パラコート連続毒殺事件」が影響していると指摘しておきたいと思います。