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ディスコ「トゥーリア」の事故直後の写真。

六本木ディスコ照明落下事故wikipedia:六本木ディスコ照明落下事故より)

 六本木ディスコ照明落下事故は、1988年(昭和63年)1月5日に東京都港区六本木7丁目の高級ディスコ「トゥーリア」で発生した照明装置落下事故。

事故の概略

 事故発生の場所は東京都港区六本木7-13-7にあったディスコ「トゥーリア」である。

 このディスコの2階天井には、天井の巻取ドラムから直径6mmのワイヤ8本で吊られた可動式大型照明装置があった。ストロボスコープやスポットライトが取り付けられ、上下に動かすことができ、長さ5.5m、幅3.5m、厚さ1.5mの楕円形で重量約1.8tであった。アメリカ製のバリライトであると称していたが、この事故で国産のコピー品と判明している。

 1988年(昭和63年)1月5日21時40分頃、ワイヤを巻き取るドラムとモーターを結ぶチェーンが切断し、吹き抜けとなっている地下1階のダンスフロアまで8.2m落下するに至った。床から2mの高さでストッパーが掛かる設計になっていたがあまりの落下速度にストッパーは掛からなかった。

 女性13名・男性4名の計17名が照明装置の下敷きになり、目黒区の看護自衛官(21歳女性)、桐生市の予備校職員(26歳女性)、世田谷区の会社員(24歳男性)の3名が死亡、14名が負傷した。落下した照明装置は楕円形で中央部には何もない形状であったため、落下時に中央にいた来店客は運よく難を逃れた。当時このディスコのフロア内には約200人がおり、プロ野球選手の桑田真澄と当時スポーツメーカーカドヤスポーツの販売促進課長だった中牧昭二、さらに女優の相楽晴子がいたと報道された。

 昇降動作の頻度は設計上4回/日であったが実際には15〜20回昇降動作させていた。当初は店員の操作ミスのように報道されたが、上下動の際はワイヤーに約3.2tの荷重がかかるところ、1t程度の荷重にしか耐えられない設計であったとして、照明器具を施工した会社社長が執行猶予付きの有罪判決を受けており、店側の関係者は不起訴となった。


感想

 バブル華やかしき頃を象徴する事故として当時は大々的に報道されましたが、現在では知る人ぞ知る事故になってしまいました。荷重に耐えられない照明設備だったのも問題ですが、照明担当者がディスコの客を煽るために許容回数以上の上げ下げを日常的に行っていた時点で、こうなることは自明だったのでしょう。日本製のコピー製品だったにもかかわらず「アメリカ製」を売りにしていたのは、まだ「アメリカ」という響きにステータス感があった時代の名残ですね。その後アメリカの製造業の衰退、安かろう悪かろうの中国製の台頭、その反動での日本製の再評価、という流れになります。

 この事故が正月気分も開け気らぬ1988年1月5日だったというのは驚きですが、有名人もそこそこいたそうで、彼ら、彼女らはこんな年明けからディスコで踊りに興じていたことになります。まさに「バブル」ですが、このディスコのオーナーはあのレイトンハウス。F1などのモータースポーツのスポンサーで一斉を風靡したアパレルブランドです。元々は丸晶興産というダサダサな不動産会社の子会社の、メーベル商会というこれまたダサダサな会社が立ち上げたブランドですが、このレイトンハウスがいかにバブルだったかは当時モータースポーツに興味のあった方ならご記憶でしょう。レイトンブルーといわれるアパレル商品も大人気でした。

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イヴァン・カペリがドライブするレイトンハウス・マーチのF1マシン。1991年のアメリカグランプリにて。

 しかし、そのLEYTON HOUSEのブランドの顔たるロゴタイプが使用のたびにいちいちバラバラで、デザイン設計や使用規約などがしっかり設定されていないとまるわかりの代物。いかにも「成り上がり者が取ってつけただけ感」がすさまじかったのですが、このブランドを好んで身にまとっていた層も同じレベルだったので気にならなかったのでしょう。この頃はよく街で見かけたブランドでした。アパレルブランドでの「取ってつけただけ感」は、着る人の命を奪うことはありませんでしたが、安全性が求められる商業施設でも「取ってつけただけ」をやってしまい、3名が死亡、14名が負傷という惨事に。バブルも弾け「取ってつけただけ」の会社、丸晶興産は1998年に終焉を迎えることとなりました。

 事故のあった「トゥーリア」は解体され、現在跡地には「V2 TOKYO」というクラブが入るビルになっています。そのビルの入口には慰霊碑がわりの地蔵がポツン・・・。現在その地蔵の由来を知るものは、今はもうほとんどいないでしょうね。

zizou
六本木の路地に佇む慰霊碑がわりの地蔵(Googleマップより)。