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新元号を発表する小渕恵三内閣官房長官(1989年〈昭和64年〉1月7日)

昭和天皇wikipedia:昭和天皇より)

晩年

 1987年(昭和62年)4月29日、昭和天皇は天皇誕生日(旧:天長節)の祝宴・昼食会中、嘔吐症状で中座した。8月以降になると吐瀉の繰り返しや、体重が減少するなど体調不良が顕著になった。検査の結果、十二指腸から小腸の辺りに通過障害が見られ、「腸閉塞」と判明された。食物を腸へ通過させるバイパス手術を受ける必要性があるため、9月22日に歴代天皇では初めての開腹手術を受けた。病名は「慢性膵臓炎」と発表された(後述)。12月には公務に復帰し回復したかに見えた。

 しかし1988年(昭和63年)になると昭和天皇の体重はさらに激減し、8月15日の全国戦没者追悼式が天皇として最後の公式行事出席となった。9月8日、那須御用邸から皇居に戻る最中、車内に映し出されたのが最後の公の姿となった。

 昭和天皇は9月18日に大相撲9月場所を観戦予定だったが、高熱が続くため急遽中止となった。その翌9月19日の午後10時ごろ、大量吐血により救急車が出動、緊急輸血を行った。その後も上部消化管からの断続的出血に伴う吐血・下血を繰り返し、さらに胆道系炎症に閉塞性黄疸、尿毒症を併発、マスコミ陣もこぞって「天皇陛下ご重体」と大きく報道し、さらに日本各地では「自粛」の動きが広がった。

 1989年(昭和64年)1月7日午前6時33分、昭和天皇は皇居吹上御所において宝算87歳をもって崩御した。死因は、十二指腸乳頭周囲腫瘍(腺癌)と発表された。神代を除くと、歴代の天皇でもっとも長寿であった。午前7時55分、藤森宮内庁長官と小渕恵三内閣官房長官(のちの内閣総理大臣)がそれぞれ会見を行い崩御を公表。その直後、竹下登内閣総理大臣(当時)が「大行天皇崩御に際しての謹話」を発表した。

 1989年(平成元年)1月31日、天皇明仁が在位中の元号から採り「昭和天皇」と追号した。2月24日、新宿御苑において日本国憲法・現皇室典範の下で初めての大喪の礼が行われ、武蔵野陵に埋葬された。愛用の品100点あまりが副葬品としてともに納められたとされる。


感想

 昨年(2019年)、明仁天皇(現上皇)から徳仁皇太子(今上天皇)への即位の礼がつつがなく執り行われ、元号も「平成」から「令和」へと改元されました。今回の改元は天皇崩御に伴うものではなかったため、祝意のうちに混乱なく行われましたが、この1989年1月7日の平成改元時の「大騒ぎ」が教訓になったことは言うまでもありません。

 1989年1月7日早朝、昭和天皇崩御が伝えられると「元号に関する有識者会議」が召集され、その際に「平成」「修文」「正化」3つの最終候補を示したところ、当時の内閣内政審議室長であった的場順三が、とっさに明治以降の元号のアルファベット頭文字を順に並べて「M(明治)・T(大正)・S(昭和)の後はHが据わりが良いでしょう」と語り、その後開かれた全閣僚会議でも「平成」で意見が一致しました。その後14時10分から開かれた臨時閣議において新元号を正式に「平成」と決定。14時36分に小渕恵三内閣官房長官が記者会見で発表した、という経緯になります。

wikipedia:平成より)

 まあ、それは政治的手続きの話であって、われわれ庶民にとってはそこからが大騒ぎ。カレンダーや手帳は昭和表記を平成に改めなければならず(1月7日という、カレンダーや手帳が売れる時期であったため、昭和表記の商品は売れないという判断から)、それに間に合わない伝票や帳票、各種書類などは昭和に=を入れ、同時に「平成」も押せるゴム印が飛ぶように売れました。

 当たり前ですが、天皇崩御という一大事に日本中は喪に服し、新年ムードは一掃され(ただし、崩御が近いことは知られていたため、例年ほどの盛り上がりは当初からなく、自粛ムードにより微妙な空気が新年から流れていた)、エンタメ・娯楽系企業を始めパチンコなどの賭博やアダルト業界は対応に追われるという有様。まあ「せめて正月三が日でなくてよかった」と語り合うのがせいぜいという状態でした。

 日本が天皇制というシステムを採用している以上、このような改元は未来永劫続くことになると思いますが、今回の令和への改元が、今後の改元への試金石となるのは間違いないと思います。平成への改元はごく一部の業界を除いて全体的に消費を鈍らせるものでしたが、令和への改元は多くのビジネスチャンスを生み出しました。それに喪に服している間に行われるよりも、祝意のうちに行われる方が消費行動にもにも良い結果をもたらすに決まっています。加えて今回の改元がより天皇制をより身近に感じさせてくれる効果もありました。若い世代にありがちな「天皇制軽視」という考え方を改めさせる意味でも、反対していた保守派は「生前退位」の有効性を認めるべきだと思います。