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炎上する平安神宮。

平安神宮放火事件wikipedia:平安神宮放火事件より)

 平安神宮放火事件(へいあんじんぐうほうかじけん)は、1976年(昭和51年)1月6日に京都市左京区の平安神宮で発生した放火テロ事件で、日本の新左翼活動家である加藤三郎が起こした事件である。

建造物の来歴

 平安神宮は1895年(明治28年)に「平安建都1100年記念事業」として創建された神社で、平安京を建都した桓武天皇を祀っている。加藤は「自らの権威誇示のため、民百姓に塗炭の苦しみを与えるような平安京を造営し、また領土的野心のために蝦夷を侵略し、蝦夷人を虐殺・奴隷化した」桓武天皇を祭神として祀ることは「神」に対する冒涜と思い込んだ。やがてその思いが高じて平安神宮へ放火するに至った。

事件の概要

 加藤は1976年の正月三箇日の初詣参拝客にまぎれ事前偵察を行った。そして犯行は1976年1月6日午前3時35分頃行われた。加藤は平安神宮内拝殿へ放火し逃亡した。京都市消防局は最高レベルの「全出動」を発令し、市内各消防署、消防団から消防車が駆けつけたが、既に内拝殿や本殿に燃え移っており、外拝殿(大極殿)への延焼を食い止めるのがやっとであった。

 平安神宮は明治時代の創建であったため文化財指定を受けておらず、当時の消防法の規定では自動火災報知設備の設置が義務付けられていなかった。そのため発見が遅れ、大火事となってしまった。

 その後、加藤は平安神宮の近くにあった京都会館と京都市美術館に犯行声明の電話をかけ、闘争の存在を誇示した。ところが「電話があった」という報道しかされず、あまり話題にならなかった。

 続いて2月11日に、加藤は「世界赤軍日本人部隊・闇の土蜘蛛」名義の犯行声明文を新聞社に郵送した。犯行声明文には「桓武朝廷軍による蝦夷征伐を継承する天皇制日本帝国に対して宣戦布告する」旨が記されていた。しかし、何日経っても犯行声明文が公表されることはなかった。

 実際はただのイタズラ電話だと判断されただけだったが、加藤はこれらの過程で「反天皇制闘争」を黙殺して葬り去ろうとする「天皇制日本国家の陰謀」と感じ、ますます敵対意識を強めることになった。その結果、加藤は黙殺できない大きな事件を起こすため爆弾テロを行うことになった。

 本事件の最高裁判例(最高裁平成元年7月14日第三小法廷決定)は、刑法学上、現住建造物放火罪(刑法108条)における建造物の現住性の判断において重要な判例とされている。

 第一審(東京地判昭和61年7月4日判時1214号34頁)、控訴審(東京高判昭和63年4月19日判時1280号49頁)ともに現住建造物放火罪の成立が認められたことに対し、弁護人は、「平安神宮社殿は、人が現住していた社務所などの建物とは別個の建造物であるから非現住建造物放火罪が成立するにとどまる」旨を主張して上告した。しかし最高裁は放火された社殿が、現住建造物である社務所などと物理的機能的に一体性を有するので現住建造物であると判断して、弁護人の上告を棄却し現住建造物放火罪の成立を認めている。


感想

 この放火犯人である加藤三郎ですが、いわゆる「純粋莫迦」タイプで、ちょっと「それっぽい思想」を吹き込まれるとすぐに信じ込んでしまうお方のようです。戦後は戦前・戦中の「軍国(帝国)主義」から「民主・自由主義」の大転換期であったため、「戦前の思想は全て悪」という思い込みが若い世代を中心に支持を得ていました。こういった純粋莫迦を洗脳するには、根拠薄弱だろうがこじつけだろうが捏造だろうが、兎にも角にも「善・悪」「敵・味方」など二元論に落とし込んでしまえばいいのです。そうすればこの方のような純粋莫迦が勝手に「〇〇は正義で××は悪、よって××を肯定するものは〇〇を正義と気づいている者によって矯正されなければならない」「したがってその矯正行動(犯罪)は正義である」と解釈し、暴走してくれるからです。もちろん「〇〇は正義」が正しいかどうかどうかなんて検証しません。なにせ「純粋莫迦」ですから鵜呑みする以外あり得ないからです。

 まあ、冷静に考えれば世の中の現実全てが二元論で説明できるわけではないし、その二元論だって立場が違えば正義も違います。さらに加えて歴史的背景もあります。食うか食われるかの帝国主義の時代、宗主国か植民地かの二択を迫られて、前者への道を必死で模索した日本と、怠慢と傲慢と自堕落で後者に甘んじた東アジアの周辺諸国と比べるべくもありません。

 さて、この加藤三郎氏、平安神宮放火事件以降も数々の事件を起こしています。

1977年1月1日:梨木神社爆破事件(組織名「闇の土蜘蛛」「浮穴媛のこどもたち」)
1977年2月21日:東急観光爆破事件
1977年5月2日:東大法文1号館爆破事件(組織名「世界革命戦線・大地の豚」)
1977年6月30日:三井アルミ社長宅爆破事件(組織名「世界革命反日戦線・タスマニア1876」)
1977年10月27日:神社本庁爆破事件(組織名「世界革命反日戦線・大地の豚」)
1977年11月2日:東本願寺爆破事件(組織名「世界赤軍日本人部隊・闇の土蜘蛛」)
1978年1月1日:明治神宮を狙った糞尿を飛び散らせる「黄金爆弾」の誤爆

wikipedia:加藤三郎(新左翼)より

これだけの事件を起こしておいて死者が出なかったのは奇跡としか言いようがありませんが、行為は迷惑そのものです。しかも全て1970年代後半という「遅咲きの(自称)革命家」というのも痛々しい。唯一の救いは過激派の構成員だったわけではなく、行った全ての犯罪行為は単独であったことです。ですので、この「洗脳」(というか単なる思い込み)はやがて解けるのですが、そのきっかけが1978年1月1日に起こった明治神宮を狙った糞尿を飛び散らせる「黄金爆弾」の誤爆というのだから面白い。元旦早々、自宅アパートで製造中の「黄金爆弾(糞尿爆弾)」が誤爆し、自身が糞尿まみれになってしまい心に深い傷を負ってしまったというのです。ギャグ漫画を地で行く展開に笑いが止まりませんが、ここに至っても相変わらずの純粋莫迦っぷりは治らず、その後ラジニーシ思想に感化されてしまいました。それから犯罪行為は起こさず、逃亡生活に入るのですが1983年5月にやっと逮捕されます。その後2002年12月には刑期を満了し出所、現在は岐阜県内で自給自足の生活を送っているそうです。

 一応ご本人の「自己紹介」を紹介しておきますが、逃亡生活中はある女性と行動を共にしていて、その女性が心身を病んでしまったために心理療法の本を読み漁り、それがきっかけで過激思想からの脱却を果たしたそうです。しかしその後その女性がどうなったかの記述はなく、減刑を狙って愛のない獄中結婚をしたり、出所後は投資(競馬)に失敗したり、アフェリエイトに手を出したりと、まあ言っては何ですが色々ダメ人間っぷりがすさまじい。人間の成長というのは「メタ認知(自己客観視)」ができるようになってから始まるのですが、それは10代始めに始めるべきことです。加藤氏の生い立ちや家庭環境(某新興宗教の教会だった)、家族の問題に情状酌量の余地があるとしても、それはご本人の問題であって、だから全くの見ず知らずの他人に迷惑をかけていいという話にはなりませんし、ましてや放火や爆弾テロなどもってのほかです。日記を読む限り、相変わらずの(自己憐憫にみせかけた)自己愛に満ちた幼児性の発露に言葉もありません。もうお歳ですし、このまま静かな(人様に迷惑をかけない)余生をお送りください、としか言いようがないですね。