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声優ご本人と演じたキャラを同一視してしまうという感覚は、それを経験した人ではないとなかなかわかってもらえないですね。

 「アイドル声優」という言葉はもうすっかり定着したように思えますが、そのルーツはwikipediaには書かれていませんが、『海のトリトン』(1972年)の塩屋翼さんではないかと思っています。1960年前後生まれの「ポスト団塊世代」が、子供向けとは思えない重厚なストーリーにどハマりし、主役のトリトンを演じた塩屋翼さんをアイドル視したのが始まりではないでしょうか。ティーンエイジャーまで広がったアニメ視聴者を意識してか、この頃からストーリー重視のアニメが増えてゆき、最初の決定打が1974年の『宇宙戦艦ヤマト』です。そしてそのヒロイン森雪を演じたのが麻上洋子さんですね。

 この色あせた雑誌の切り抜きから時の流れを痛切に感じますが、これは月刊OUTの1980年5月号に掲載された「麻上洋子インタビュー」の切り抜きであることは、さすがこのネット時代、すぐに特定できました。つまり、約40年も前のものです。「生徒手帳」というところが当時の私の「ウブさ」を物語っていますが、まあそれはあまり深く触れないでおきましょう(笑)。

 ところで団塊世代にアニメの話が通じないという経験、多くの方がされているかと思いますが、学生運動や反戦運動に熱中した団塊世代は、漫画にはハマりました(よど号事件の「我々はあしたのジョーだ」発言など)がアニメにはハマりませんでした。その大きな違いは『海のトリトン』『科学忍者隊ガッチャマン』『新造人間キャシャーン』『宇宙戦艦ヤマト』などの「シリアス系アニメ」の視聴の有無だと思っています。1970年代前半に起こった「シリアス系アニメブーム」は、その後の日本のアニメの方向性を決定づけたと言っていいと思います。このブームがなければ後の『機動戦士ガンダム』も『新世紀エヴァンゲリオン』も『涼宮ハルヒの憂鬱』も『魔法少女まどかマギカ』もなかったはず。確かに日本のTVアニメを立ち上げた手塚治虫は偉大でしたが、この「シリアス系アニメブーム」の前には手塚治虫は「子供向けアニメの人」とされ「過去の人扱い」でした。

 1950年代後半から1960年代前半生まれのポスト団塊世代(当時は学生運動の反動で「シラケ世代」と呼ばれていた)以降は、何かしら「アニメ」の影響を受けて育ち、それが現在の日本の姿の一部を形作っているのは間違いないでしょう。「世界に冠たる日本のアニメ文化」とよく言われますが、そのルーツは手塚治虫ではなく、手塚治虫の元で、もしくは手塚治虫をライバル視してアニメ制作を学んだ世代が作った「シリアス系アニメ」だったことは、もっと多くの人が意識しておくべき事実(手塚治虫の功績ばかり強調されすぎている)ではないかと思っています。