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三菱の21インチモニタ(確かRD21G-O)を使っていたので、本体はモニタ上の棚に置いていました。

 1997年3月、度重なるエラーとIllustratorのアウトライン入稿におけるデータの肥大化に対処できなくなった8100/80に見切りをつけ、当時最速と詠われたPowerPC604eを搭載した名機(と、個人的には思っています)「PowerMacintosh 7600/200」を購入しました。搭載OSは漢字Talk7のバージョンアップ版、漢字Talk7.5だったものの、Windows95を多分に意識し、9月に日本発売になったMasOS8(当時MacOSはローカライズに時間がかかったため、アメリカでリリースされてから約半年くらい待たされた)、そして格段に安定性が増したMacOS 8.6の登場で、非常に分かりやすく簡潔にネット接続の設定が可能になり、インターネットを身近なものにしてくれました。業務ではインターネットと共に一気に普及した電子メールが頻繁に利用されるようになり、日常的な連絡やテキスト原稿のやりとり、ちょっとした画像などは全てメールで済むようになりました。

 さらにこの7600/200には素晴らしい特徴がありました。なんと比較的簡単にCPUを載せ変える事が可能だったのです。当時は日進月歩のスピードでCPUが進化していた時代でしたが、その都度マシンを買い替えられない者にとってこの仕様は非常にありがたいものでした。オリジナルのPowerPC604e/200MHzからG3/333MHz(インターウェア BOOSTER G3 333)へ、そして更にパワフルなG4/500MHz(インターウェア BOOSTER G4 500C20)と載せ変え続け、結局PowerMac G4 (Mirrored Drive Doors)に買い替える2003年1月までの約6年もの間使い続けたのです。

 業務が加速度的に増えていったこの時期、正直言ってパソコンには速度と安定性しか求めていませんでしたが、そんな私の無茶振りや数々の改造や増設をものともせず、全くのノートラブルで働いてくれました。まさに「名機」だと思います。数少ない難点を挙げるとするならば、筺体を開けた時にパーツを支持するプラスチックの黒いつっかえ棒が貧弱なので、すぐに折れてしまったこと。使用に影響はありませんでしたが、同じように折った方、多かったのではないでしょうか(笑)。

所有期間:1997年3月〜2003年1月