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PCやネットの普及よりも「未来」を感じた携帯デバイスの普及は、1995年のPHSの登場から一気に加速したと思っています。左:CASIO PH-100、右:CASIO PH-510

  1995年に独立を果たしは私は、外出時の連絡はもっぱら留守番電話と公衆電話に頼るしかありませんでした。つまりクライアントが要件を留守電に録音、それを外出先の公衆電話から確認、というプロセスです。当然このやり方だとタイムラグが生じます。外出先で留守電を確認して自宅に戻ってみたら留守電に急ぎの用事が入っていた、なんて目も当てられません。じゃあメールは?と思った方は、当時を知らない方でしょう(そんなものはまだ後の時代の話)。

 PHSの事業が始まったのは1995年7月から。当然その情報は耳に入っていましたが、携帯電話に比べてエリアの狭さや通話品質など評判は良くありませんでした。しかし携帯は料金が高い・・・。費用対効果を勘案し、私は結局PHSを選びました。加入はこの年の年末で、通信会社はDDIポケットです。

 当時、携帯電話はおろか、PHSもまだ珍しい時代。私の周りにも持っている人は一人もいませんでした。ですので街角で通話しているとジロジロ見られ、けっこう恥ずかしい思いをしたものです。当時アンテナは公衆電話ボックスに建てられていたことが多く、せっかくのモバイルデバイスなのに通話をしたいがために公衆電話を探すという、なんとも本末転倒的な行動を取らざるを得ませんでした。電波の掴みの悪さ対策に、当時効果があるとされていた謎のアルミ箔シールを本体裏に貼ったりもしていました(効果は感じず)。困り果てた私は本体を同じくカシオのPH-510に買い替えたりもしたのですが、抜本的な解決には至らなかったです。まあ、それから数年もしないうちにPHSは「ピッチ」と呼ばれるようになり、女子高生のおもちゃに成り果てるんですけどね。

 通話エリアの狭さ、室内や地下での電波の掴みの悪さ、通話品質の悪さに辟易した私は、1997年10月に携帯電話に加入し、たった2年弱のPHSユーザーを終えることになりました。本体を捨てる際、フォーマットのやり方がわからず、分解して基盤を破壊したのは、今考えれば「フォーマットのやり方がわからなかっただけ」ではなかったことはお察しください(カシオさんごめんなさい)。

 ちなみに携帯電話は通信会社が「東京デジタルホン(現ソフトバンク)」、機種は「DENSO DP-193」でしたが、ピッチの使いづらさから解放された安堵感が大きく、あんまり覚えてないです。まあ、「何の問題もなかった」ということでしょうね。

所有期間:1995年12月~1997年7月(CASIO PH-510)、1997年7月~1997年10月(CASIO PH-510)