メーテル-01
記憶を頼りに資料を一切見ずに描きました。中坊の頃に描きまくって以来です。そんなに大きくは間違っていない・・・はず。




 27歳頃だったある日、当時組んでいたロックバンドでベースを担当していたYくんと飲んでいた時のことです。同い年だった彼と私は受けてきた影響も似通っていて、1980年代に隆盛を誇っていたアニメ、マンガを一通り通ってきたという点も共通していました。そんな彼が酔ったいきおいもあったのかポツリポツリと語り始めました。


「いや実はさ、中学生の頃メーテルって実際にいると思ってたんだよね・・・」

「えっ?どういう意味?」

「俺、中学は転校で入学したから学校になじめなくてさ、一人でマンガばっか読んでたんだよね」
「友達もいないから話す相手もいないし、その日一日誰とも口聞かない、なんてこともしょっちゅうあったし」
「でさ、今から考えれば変な話なんだけど、学校から帰る時なんか「さっ、帰ろ」とかメーテルに話しかけてたんだよ」

「・・・・・マジで?」

「うん、マジ。でももちろん声に出さずにだよ。」

「自分が鉄朗になった気分で?」

「いや、自分は自分なんだ。鉄朗もいるんだ。ただ今いる世界にメーテルがいつもそばにいる、っていう感覚なんだ」

「恋してたのかな、メーテルに」

「うーん、そんなんじゃないな。ただそこにいるだけなんだよ。」

「で、メーテルはお前になにか話しかけてくれたとか?」

「いいや、単に優しく微笑んで頷くだけなんだ。そうやって一日一日過ごしてたんだ。」

「単純に考えれば現実逃避ってことなんじゃ?」

「うん、そうだと思う。でも当時はそうするしかなかったんだろうな。」


 この時彼には言いませんでしたが、やはり私もアニメやマンガのキャラに特別な感情を抱いたことはあります。ここまで現実に存在すると感じたことはありませんでしたが。

 現在、ヲタクや腐女子と呼ばれる方々だけでなくても、二次元キャラに恋をしてしまった経験のある方(人に話すか話さないかは別にして)は意外に多いんじゃないかと思います。私は日本のアニメ・マンガのコンテンツ・パワーの源はこの「観る者を感情移入をさせる能力の高さ」にあると考えています。海外のアニメ(例えばディズニー・ピクサー)にも確かに魅力あるキャラクターが存在します。某ネズミーさんなどは日本では絶大なる人気を誇っています。でもネズミーさんに感情移入する人がどれだけいるでしょうか? ネズミーさんがどんな冒険や活躍をしても、それはネズミーさんが頑張っているだけの話です。そのネズミーさんの観察者として「頑張れ!負けるな!」とハラハラドキドキしているに過ぎません。しかし日本のアニメ・マンガは違います。どれだけ現実離れしているキャラクターデザインであっても、ありえない設定や作品世界であっても、登場人物に自分を重ね合わせて、その世界に自分自身が迷い込んでしまったかのように疑似体験をさせてしまうのです。なぜならそれを実現させる非常に強力な「感情移入装置」を日本のアニメ・マンガは持っているからです。

 ではその強力な「感情移入装置」とは何なのか、という点ですが、これは一言でいえば「共感」だと言い切れると思います。つまり、登場人物が劇中で「考えること・行動すること」と、観客が「考えること・行動すること」とを一致させるのです。もちろん感覚に個人差はありますのでここでの「共感」は最大公約数ということにはなりますが、日本のアニメ・マンガの脚本家・作者はこの「観る者の共感を呼び込む能力」が非常に高いのが特徴です。

 世界でものすごく評価されている(その反面二度と見たくないそうですが。笑)『火垂るの墓』ですが、このアニメがどうして世界中の観る者の感情をゆさぶるのか? それは「誰もが子供の頃に感じる大人への不信感と無邪気な独立心」を主人公の少年がそっくりそのままトレースするからです。ただ、平和な時代ならちょっとした冒険で終わったかもしれませんが、劇中では戦時中だったので結果は悲劇でした・・・というより悲劇以外の選択肢はありませんでした。よくこの映画は「悲劇以外の選択肢がない状態=戦争は悪=だから反戦」という図式で語られがちですが、それだけではなく、物語中ずっとこの「誰もが子供の頃に感じる大人への不信感と無邪気な独立心」という「共感(感情移入装置)」が働いているため、単なる反戦映画以上に心をゆさぶられてしまうのです。誰もが清太になってしまうのです。

 翻るに「萌え絵」と呼ばれるものにもこの強力な感情移入装置である「共感」は重要な要素です。私がここで書いた「世界中のどこかを探せば実在しいているんじゃないか、と思わせるほど存在感」はこの「共感」という感情を抜きには語れませんし、思わず萌え絵に対して発する感情「抱きしめたい、一緒にいたい」などもこの「共感」があればこそです。ただ萌え絵はここで指摘した通りその画のキャラクターに背景情報はありません。ですので重要なのはやはり観る者の共感を呼び起こす「キャラクターデザイン」ということになります。

 ところで前述のYくんですが、やはり彼も『銀河鉄道999』という物語に深く共感していたんだろうと思います。鉄朗とメーテルの微妙な関係に共感し、そこに自分も存在したい、いや存在しているんだと強く考えていたんでしょう。ただ彼曰く「アニメのメーテルはメーテルじゃない、原作(マンガ)はもっと少女っぽくって可愛い」と申しておりました(笑)。