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最近最終巻の第三巻が発売されて完結した『千と万』。ちょっと残念なのはこのお父さんは「お父さん」じゃなくて「お母さん」なところ。作者は女性なので男性心理がよくわかっていない気がします。でも面白かったのでそのうちアニメ化されそうですね。




 あんまり大きい声では言えないのですが(なぜでしょう?笑)、関谷あさみさんという漫画家が描く女の子がとてもヤバいんですよね。エロ過ぎて(笑)。パンチラやヌードや性行為の絵じゃないのに、単にジャージ姿でゴロゴロしている画なのにエロいのです。そんなに描き込んでいるわけでもなく、胸やお尻を強調するでもなく、いやらしいポーズを取るわけでもないのに、どうして関谷氏の描く女の子はこうもエロいのでしょう?

 思うに、関谷氏の絵からはとっても生臭い、子供独特の、あの体育の授業の後の教室で漂ってくる「子供臭・女性臭」を感じさせるからではないでしょうか。それなのに画の女の子はひたすら可愛い・・・。そのギャップに一種独特のエロティシズムが内包されているような気がします。他の女性漫画家や絵師はその「生臭さ」をひらすら消しにかかります。まるで爽やかな芳香剤が紙面に漂っているかのような(笑)画を描きます。それは裏を返せば、くだんの「女性臭」を知っていおるからで、その生理的嫌悪感からその臭いを抹殺にかかるのでしょう。しかし同じ女性である関谷氏はその「女性臭」を隠しもせずで堂々と、いや本人はその臭いを好んでいるのではないか?と思えるほど紙面に漂わせます。それが一種のエロさを感じさせる要因になっているのだと思います。

 翻って、男は残念ながらその「女性臭」を知りません(一緒に住んでりゃ全然知らない、ってわけではないんですけどね)。ですので「清廉美麗な女の子に性的なポーズや格好をさせたり、胸やお尻を強調するプロポーションにする」という方法を採ります。つまり関谷氏は「聖と生」、萌え絵師は「聖と性」というキャップを利用して、見るもの、読むものに「萌え」という感情を呼び起こさせているのです。「ギャップ萌え」という言葉がありますが、萌え絵にはこの「ギャップ」という要素もかなり重要である、ということがよくわかります。

 個人的には「聖と性」ではなく、関谷氏のような「聖と生」のギャップが漂う萌え絵を描いてみたいのですが、男である私にはそれはかなり難しい。でもほんの少しでも画の「脇の下」とか「下乳の影」とか「ふとももの奥」に生臭さが漂う萌え絵を描けたらいいな、と思っています。

 ・・・と、ここまで書いて読み返してみると、とっても変態的な記事になっていますね(笑)。一応「萌えとは何か?」を真面目に考察・検証した記事なので、誤解のないようにお願いいたします(汗)。ちなみに関谷氏は18禁のとってもデンジャラスな漫画(要するにロリもの)を描いていますが、氏の特徴を一番よく知るためにはエロの一切ない日常系の『千と万』がおすすめです。