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もう10年近く続けているアクアリウム。震災以前はもっと大きな水槽でしたが、地震が怖いので今は直径35cmのガラス鉢を使っています。その限られたスペースに水草をレイアウトし、流木や石を配置。そこに泳ぐ最適な熱帯魚をチョイスする・・・。単なる趣味ですがこれも立派な「創作活動のひとつ」ですね。




 私はグラフィックデザイナーですので、広告を創作(制作)することでお金をもらっている人間です。過去を振り返れば、物心ついたときから絵を描いていたよう(覚えていない。笑)で、幼児の頃に部屋の白い壁にマジックで落書きをしてしまい、母親が姑から大目玉を食らったそうです。その後小学生からイラストを描き始め、中学生でオリジナルキャラクターに目覚め、高校では美術部に所属しながら部員には内緒でイラストを描いていました。高校卒業後に進学した専門学校は美術系ですので当然絵は描きます。と、いうことは私は生まれてから今までずっと「絵を描いて生きて来た」ことになります。それに加えて中学からギターを弾き始め、高校や専門学校では学祭に出演、その後はアマチュアバンドを組んでオリジナル曲を制作、都内のライブハウスでライブ活動を15年間(バンドを組めないなどブランクもあるので実質はその半分くらい)続けていました。現在はボカロを使ってDTMで楽曲制作をしています。(こんな風に書き出すと「リア充臭」がただよっているかように見えますが、実際は全然モテませんでしたのでご安心を。笑)

 よく、野球部出身の野球好きが休日の早朝から草野球を楽しんでいたり、昨今のマラソンブームで、時間が空くと「ちょっと走ってくる」と言い残して飛び出していったりする体育会系の人がいますが、彼ら彼女らがよく言うのが「体を動かしていないと気持ち悪い」という言葉です。私も全く同じで「何かを創っていないと気持ち悪い」ということなんでしょう。

 ところが、創作活動をしている全員が「何かを創っていないと気持ち悪い」というわけではないようで、「創作を通じたコミュニケーションがしたい」「創作をしていると友人が増える」「創作によって他人に自分自身の存在を示したい、認められたい」という「コミュニケーションありき」で創作活動をしている人がかなり多いのに気づかされました。私はそういう人に出会うたびに違和感を感じていました。何故なら「創作とは他者と断絶し、自己の内面と向き合うという苦痛と苦悩を伴う行為」と認識していたからです。もちろん創作されたものを披露しあって他人とコミュニケートすることは素晴らしいことですし、創作活動にそういった側面があるのは否定しません。しかし私にとって創作とは「まず創作ありき」であって「まずコミュニケーションありき」ではないのです。他者とのコミュニケーションなんて二の次三の次、まずは自分の創作衝動あるのみ、だからです。

 そういった「コミュニケーションありき」で創作活動をしている人は、かなりの割合で創作活動をやめてしまっています。当然です。創作が目的ではなくコミュニケーションが目的なので、自分のコミュニケーション欲求が満たされれば創作活動を続ける理由がなくなるからです。多くは就職や結婚、出産を機にやめているようです。逆にそういった機会を経ても、どんなに身辺が忙しくても創作活動をやめない人は、「何かを創っていないと気持ち悪い」人たちなんだろうと思います。私はたとえ下手くそであっても「何かを創っていないと気持ち悪い」人たちが大好きです。逆にどんなに上手くても「創作を通じたコミュニケーションがしたい」という人には残念ながら興味はないですね。

 さて、ここをご覧になっている方はどちらのタイプでしょうか。「まず創作衝動ありき」でしょうか?「まずコミュニケーションありき」でしょうか? どちらでも構いませんが、プロのイラストレーターを目指すなら「まず創作衝動ありき」のタイプでないと難しいと思います。そうでないと、クライアントの理不尽な要求にも屈せず、創作のモチベーションを維持し続けるのが困難だからです。ですので「まずコミュニケーションありき」のタイプの方は、早々に他の道(アマチュアで楽しくやるだけとか)を選択することをおすすめしておきます。


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