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昔、グラフィティ・アーティストを自称する人に自慢げに自分の作品(他人の家の壁に描いた落書き文字の写真)を見せられたことがあります。私は身近にあった紙にさらさらと「それっぽい落書き文字」を描いて見せ、「こんなのコツさえわかれば誰でも描けんじゃん」と言ってあげたところ、その人は憤然と席を立って出て行ってしまいました(笑)。仕事で落書き文字のテクスチャを作った経験があったからですが、その手の「自称アーティスト」は今でもどこかに棲息しているんでしょうねぇ・・・笑。(写真提供:FreeBackPhoto




 もう10年くらい前の話になります。アマチュアバンド活動で知り合ったイベント主宰者のFさんから、「今度渋谷で写真の合同展を開くんだけど、そこに出展するカメラマンの女の子に、私の知り合いにプロのデザイナーがいると話したら、ぜひ写真を見て批評して欲しいと言っているんだけど、来てくれないかな?」というお誘いを受けたことがあります。私は嫌な予感はしつつも、バンドでお世話になっているプロモーターさんなので無下に断るわけにもいかず、しぶしぶ訪問することにしました。当日会場に赴くと、Fさんは私をそのカメラマンの女の子たち(二人だとは知らなかった)に引き合わさせ、彼女たちは嬉々として自分の写真を説明し始めたのです。

 そこに展示してあるのは横浜みなとみらい地区のモノクロ写真(モノクロフィルムで撮影し、引き伸ばし機で引き伸ばしたもの。当時はまだデジタル一眼の普及前)でした。しかも写っているのは路上に設置された有名作家のオブジェばかり。それを下からアオってモノクロで撮影したものでしかなかったのです。当然「カッコイイオブジェ」を「カッコよくなるモノクロ撮影」すれば「カッコイイ写真」は誰でも撮れます。それを「自分のアート作品」として展示会に出展する厚顔無恥さもスゴいですが、これをプロの私に見せたいと考えた彼女らの無邪気さに、私は一瞬気を失いそうになりました(笑)。

 結局Fさんの手前、穏当な言葉を適当に並べてその場はやり過ごしたのですが、こういった「自称アーティスト(大学生など20代前半が多い)の勘違い作品」の評価をお願いされたことは一度や二度ではありません。それこそ何十回とあります。そのほとんど全てが評価以前の、作品として成立していないものばかりです。インターネットが普及し、インスタグラムでカッコイイ写真が誰にでも撮影・加工できるようになった現在、写真に関しては「勘違いちゃん」の出現はかなり少なくなったように思います。しかし、イラストに関してはいまだネット上に数多くの「勘違いちゃん」が存在しているようです。

 pixivやTinamiなどには未熟なイラストをアップしている人を大勢見かけます(私もその内の一人です)が、それ自体を問題視しているのではありません。「自分の絵を他人に晒す」というのは創作にいい緊張感をもたらす効果があるので、おおいにやるべきだと思います。しかし、そこに書かれた記事やコメントに、自作品を客観的に評価できていないことを伺わせる強気の言葉や、「描き方を教えてやるぜ」的な上から目線を感じる時、いつも私は上記の「無邪気な女の子二人組」を思い出してしまいます。そして「自作品を客観視できない限り、この絵師に未来はないな」と思ってしまうのです。

 おそらく、高い画力を持ち、ファンも数多く獲得している有名絵師ほど、謙遜などではなく本気で「自分なんてまだまだ下手くそ」と思っていると思います。逆に言えばその「自作を客観視できる能力」がその絵師の画力を押し上げるパワーの源なんだろうと思います。

自分の実力を客観的に、冷静に判断できることが上達への第一歩

 その人の実力のいかんにかかわらず、どの創作のジャンルであるかにかかわらず、全ての創作者が持つべき絶対必須の能力だと、私は思っています。