
グラフィックデザイン(広告制作)のワークフローがアナログからデジタルへの移行が始まったのは1990年代後半です。その頃、デザイン・版下・写植・組版作業はデジタル化が一気に進みましたが、遅々として進まなかったのは写真(画像)とイラストでした。理由は、まだその頃のマシンスペックでは画像データ(ピクセルデータ)を印刷解像度(原寸で350dpi)で扱うには(具体的にはMB単位のデータ)荷が重かったからです。というか、実質的には不可能でした。ではどうやって入稿していたかと言うと、入稿データの画像部分(イラスト含む)には軽い「アタリデータ」を貼っておき、入稿データにポジフィルムやイラスト原稿(イラストレーターがアナログで描いた原稿)を添えておくのです。その入稿データとフィルムや生原稿を受け取った製版担当者が、それらを製版解像度にスキャンし、入稿データに貼り込んでいる「アタリデータ」と差し替え、製版を作成し、印刷していたのです。すなわち「デジタル・アナログ混在入稿」です。
つまり、この頃までカメラマンとイラストレーターはまだアナログ(フィルムカメラや手描き)で仕事していたんです。ですが、マシンスペックは日進月歩の勢いで進化していた時代です。PowerPC→G3→G4、そして2000年代に入るとintel Macが登場し、印刷解像度で入稿データが扱えるようになりました。つまり「完全デジタル入稿」の時代に入ったのです。そうなるとカメラマンはフィルムカメラからデジタルカメラに移行し、写真の世界ではあっさりとデジタル化が達成されました。ではイラストレーターはどうかというと、簡単にはデジタル化に対応できませんでした。なぜなら、デジタルで絵を描くには高いハードルがあったからです。
カメラをデジタルに持ち帰ればいいだけ(細かい差異はありますが)のカメラマンとは異なり、絵の具などのアナログ画材を扱う専門家でもあったイラストレーターにとって、「パソコンで絵を描く」という行為には激しい抵抗感がありました。まずPCの操作に慣れる必要があり、それに加えてあの扱いづらい「ペンタブレット」に慣れなければならなかったからです。それは、イラストレーターがそれまで培ってきた「絵の具と筆で絵を描く」という行為の全否定と言えるものでした。結局私の周りにいたほとんどのイラストレーターはデジタル化に対応できず、姿を消してしまいました。2010年代に入ると「完全デジタル入稿」が当たり前になり、アナログでイラストを描いたいたイラストレーターに発注することはなくなりました。ちょうどこの頃、初めからデジタルでイラストを描いていたイラストレーター(デジタルネイティブ・イラストレーター)とアナログイラストレーターが完全に入れ替わった時期と言えるでしょう。そして2020年代の現在、アナログイラストレーターと仕事をすることは(それを意図としない限り)ありません。
このように、2000〜2010年代のアナログ→デジタルの変革期にテジタルに対応できなかったイラストレーターは仕事を失い、広告業界から去って行きました。彼ら、彼女らが現在何をしているかは私は存じ上げておりません。連絡先は探せば見つかるでしょうけど、その連絡先はもう使われていないでしょう。「10年ひと昔」といいますが、2000年前後のデジタル変革期は広告・デザイン業界だけでなく、一般社会における「仕事のあり方、進め方」を大きく変えた時代でした。今では信じられないかもしれませんが、昔の仕事机に上にPCはなく、電話器ぐらいしかなかったのです。私はその変革の真っ只中で、その変わりようを直に体験しましたし、その未来を見据えながら仕事をしていました。1994年に始めてPower Macintshに触れた瞬間から「これからデジタル時代がやってくる」と直感し、密かに独立の準備をし、翌年フリーランスになりました。ですので、写真やイラストが早晩デジタル化するのは目に見えていたのです。ですが、私の周りのほとんどのイラストレーターは、デジタル化を拒否し続けました。いわく「アナログイラストの需要がなくなるとは考えられない」「自分はアナログタッチの良さで評価されているからデジタルは必要ない」などです。ですが、それは今にしてみれば(もちろん当時も少し思っていましたが)単なる「言い訳け」でしかありませんでした。ようするに「デジタル化についていけなかった」だけなのです。
テクノロジーは世の中を便利にします。言い換えれば「社会の効率化」です。効率化が進めば、それまで非効率で行われていた仕事がなくなるのは自明です。かつては女性の花形業務であった銀行の窓口業務が、ATMやネットバンキングの普及により大幅にその数を減らしているのは誰もが知るところでしょう。そしてそれは、おそらく今後も続くでしょう。単純労働や単純作業は機械に置き換わり、人間は「機械ができないことをすればいい」だけになります。アナログイラストがデジタルで再現できるのなら、わざわざ時間もお金も修正にも手間がかかる、アナログを選ぶクライアントはいません(「アート」としてのイラストレーションはまた別の話)。そんな簡単な「現実」を直視しなかったばっかりに職を失い、業界を去った人は幾数多。生き残るためには「社会の変化に柔軟に対応できるスキル」は、いつも時代でも同じだと私は思います。
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