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春から初夏にかけては「新しい人たち」の季節ですが・・・。(photo:写真AC

 おおよそ2年くらい前の話です。地下鉄有楽町駅の地下通路(帝国劇場の前あたり)を歩いていると、突然リクルートスーツを着た若い女性に声をかけられました。大抵の場合はセールスか、怪しい団体の勧誘なので無視するのですが、彼女は熱心に「匿名のアンケートですぐ終わります!」「簡単ですのでお願いします!」とすがりついてきました。私は彼女が困っているようにも見えたので、匿名なら・・。とアンケートに答えてあげたのです。

 アンケートは不動産についてで、その女性は無名不動産会社の新入社員でした。10個ほどの簡単な設問(年齢や性別、職業、持家か借家か・・・など)に答えながら彼女の話し方を聞いていると、少し九州訛りがあります。私は「九州の人?」と聞いてみると、福岡のデザイン専門学校を卒業し、この春不動産会社に就職、新人研修と称して街頭アンケートをさせられているとのことでした。私は「アンケートでは自営業って答えたけど、実はフリーのデザイナーだよ」と言ってあげると、彼女は目を輝かせて私を質問攻めにし、デザインの仕事をさせてもらえると聞いて入社したのに、こんなことをさせられている現状を愚痴り始めました。私は「ああ、騙された系か」と思い、少しだけ彼女の愚痴に付き合ってあげた後、あんまり長々と立ち話もできない(アンケートにはノルマがあるらしい)ので、「じゃ、アンケート頑張って!」と言って別れました。もちろん名前も名乗らなければ名刺も渡していません。私はビジネスの現場以外で名刺を配ることは一切しない(個人情報が満載ですので)のです。

 そもそも、デザイナーを目指すのであれば、大手企業のデザイン制作している部署(大卒が条件である場合がほとんど)か、広告代理店、印刷会社、出版社などの制作部門、もしくはそれらから案件を受注する制作会社に入社しなければなりません。「デザイン」と一言で言ってもクライアント業種は多岐にわたり、媒体(ポスター、チラシ、パンフレット、媒体広告、看板、WEB、書籍などなど)も多種多様で、それらはデザインの特徴(特質)が全て異なります。デザイナーが一人前になるには10年前後かかるというのは、それだけ多くの経験を積むためには、それだけの時間が必要なためです。その制作の最前線はまさに「ブラック」と言っても過言ではない過酷な労働状況です(もちろんそれは「よくないこと」ではあります)。ですが、そこで学ぶことは、専門学校で学んだことなど何の役にも立たないと言えるほどの密度です。そしてそのスタートは「若ければ若いほどいい」(吸収が早く体力がある)のです。

 彼女は新卒という「現場の最前線」に飛び込むチャンスをみすみす逃し、無名中小企業の広報担当(そもそも、その会社はデザイン制作を餌に若い女性営業が欲しかったのでは?と推察しています)という、デザイナーとして何の実績にもならない職種を安易に選びました。私はこの時点で彼女の「デザイナーになりたい!」という本気度を疑います。もし本気なら、制作会社の入社試験で例え落ちたとしても、アルバイト扱いでもなんでも業界に潜り込もうとするからです。ですが、彼女はそうしませんでした。そして彼女は重大な事実に気がついていません。同時期に卒業したライバルたちは、彼女がそんなところでグズグズしている間に、現場の最前線で経験と実績を次々に積んでいっているのです。そのライバルは彼女の前をどんどん歩いて行き、それはたった数年で追い越すことができない、決定的な差になってしまうでしょう。学生卒業から3年後、転職しようとして提出したポートフォリオに実社会で担当したデザインが載っているか、それとも学生時代の作品が載っているか、あなたが面接官であればどちらを採用するかは言うまでもないことです。

 彼女が騙されたのかどうかなんてことは関係ありません。20歳を過ぎてもその程度の現実的な判断ができないのであれば、騙される方が悪いのです。要は「本気度」の問題です。本気でデザイナーやイラストレーターを目指すのであれば、まず「業界へ飛び込むこと」です。クラウドソーシングサイトの仕事や、お友達のお仕事を手伝ってお小遣いを稼いだレベルなど「実績」とは認められません。それらはしょせんは「お遊び」です。そのレベルで「お仕事ください」とTwitterのプロフィール欄に書き込む厚顔無恥さには、空恐ろしささえ感じますが、そんな人は多分「本気」の必要がない、「夢の世界の住民」なんでしょう。

 おそらく(おそらくですが)、街頭アンケートで出会った彼女は、もうその会社にはいないと思います。東京にもいないかもしれません。でも仕方がありません。彼女には「本気」が決定的に足りなかったのですから。「本気」な人は他にいくらでもいます。彼女はスタートダッシュできませんでした。いや、スタートラインにすら立っていませんでした。本気が足りない彼女がデザイナーになれる可能性など、最初からなかったのです(もしかしたら、遅まきながら「本気」になったかもしれませんが、ハンデはかなり大きいでしょう。それにも負けずに今でも頑張っているのなら、もちろん応援します)。

 デザイナーにしろ、イラストレーターにしろ、まずは「本気度」が試される世界です。センスだの才能だのというのはその後の話です。「本気度」が足らない人は、まず業界では相手にされません。相手にして欲しければ「本気度」を「見える化」する必要があります。現実世界で社会の荒波に揉まれ、あえぎ苦しみながらも掴み取った「経験」「成果」「結果」、それが「実績」です。私はそんな苦行から安易に逃げ回っているくせに、「自分には才能があり、その才能でプロになれるかもしれない」という夢を抱いた若者を何人も(本当に何人も)見てきましたし(だから「夢搾取業界」が潤うのでしょう)、相談もされました。当然ですが、本気でない人に本気でアドバイスする、などという愚行はいたしません。適当に「頑張ってね!」とあしらうだけです。「夢の世界の住人」には「夢の世界」がふさわしいのです。現実世界で関わるのは真っ平御免です。

 まあ、大抵の人はいつかは夢の世界から現実世界へと帰還しているとは思いますが、それが一体何歳であったかは、その人のその後の人生を決定づける要因になり得ます。20代なら笑えても、30代なら笑えないし、40代なら背筋が凍り、50代なら・・・考えるだけでも恐ろしいです。夢を目指すのはとても素晴らしいことですが、その「夢」は、現実社会で描いてこそ意味があるのです。夢の世界で描いた夢など寝言にもなりません。では、現実社会とは何かというとそれは「本気」であり、それを見える化した「実績」です。有名スポーツ選手がよく「夢を諦めるな」と言いますが、それは現実世界で実績がある(結果を出している)から言えるのです。そんな当たり前のことに20歳を過ぎても気がついていないのであれば、一刻も早く目を覚ますべきだと私は思います。