別に何が好きでもいいんですが、推しの推しつけだけは勘弁(photo:写真AC)
「推し活」というオタク用語が一般に定着してどのぐらいになるんでしょうか?まあ、人様の趣味嗜好を云々するほど、立派な趣味嗜好を持っているわけでもないので、私個人は今までもこれからもマイペースに、他人に知られることなく(つまりは誰にも言わない、知られたくない)、自分の好奇心の赴くままに「推し活」(マニア活動)を続けていくんだと思います。
そんなことはどうでもいいんですが、初対面やあまり関係性の深くない他人同士の会話の中で、その人の「推し活」話を聞かされる、というのはまあまあありがちな日常です。ちなみに私はもっぱら聞くだけで、自分の「推し活」については一切話しませんし、訊かれても「特にないですね」としらばっくれます。まあ、言っても分かってもらえないし、分かって欲しいとも思ってないし、そもそも自分の趣味嗜好を他者と共有したいとさえ思っていないのですから当然です。私はそれでいいんですが、世の中には困ったことに「どうしても自分の推し活を知って欲しいし、理解して欲しい。あわよくば自分と同じ推しを好きになって欲しい」と考える「迷惑な人」も存在しているのも事実です。
「迷惑な人」と書きましたが、それは私が「迷惑だ」と思っているだけで、世の中にはそれを「迷惑じゃないと考える人」も存在しています。ですので「自分の推しを勧める=迷惑な人」と決めつけているわけではありません。私がここで「迷惑な人」と定義しているのは「この人は自分の推しを勧めても迷惑がらないかな?」程度の観察力や洞察力もなく、「こんな素敵な推しがいる私って素敵でしょ?」という浅はかな心理、要は他者(物)依存とコンプレックス丸出しで、誰彼構わず推しを説いてまわる人のことです。そしてその人が勧めるという「推し」が知性のかけらもない●●だとしたら・・・もうこれは「稚拙」「バカ」というレベルを通り越して「病的」とさえ思わずにはいられません。なぜならそういうレベルの人は臆面もなく「●●を知らない(好きじゃない)なんて人生損してる!」などと「自慢する」からです。
アニメキャラだろうと、地下アイドルだろうと、俳優や女優であろうと、高尚な芸術家や音楽家であろうと「好きになる」のには理由は要りません。「好きなんだから好き」でいいはずです。個人の自由で問題ないはずです。ところが自分の推しを布教することがその推しに対する愛情表現であるとし、それを含めて「推し活」という言葉が一般化してしまった挙句、「人生損してるマン」が大量発生(SNS上ではいっぱい見かける。リアルでは何度か経験あり)する事態に至りウンザリ・・・本当にウンザリさせられることが度々起こるようになりました。ご本人は悦に入って(入りすぎて)気づいていないみたいですけどね。
ところで「●●を知らない(好きじゃない)なんて人生損してる!」に対して良い切り返しのセリフってないでしょうか?
「●●程度が好きとかあなた人生損してるね」
「●●ごときで人生得してると本気で思ってるの?」
「●●で満足なんだ。ずいぶんと安い人生なんだね」
こんな感じかな?